社蓄にならないための子育て法。
あなたは今、社畜という奴隷ですか?
私は社畜ですが、愛する子供だけには社畜になってもらいたくない!
このメディアも育児中の方に見られる方が多くなってきたので
今日お話する内容について賛否両論、いろんな意見が生れてくれたらいいなと思って記事を書いてみたいと思います。
この記事の目次
社蓄という考え方
むかし世界ふしぎ発見で見たのですが
過去の「奴隷」は一般的な「奴隷」のイメージとは違い、しっかりと給料をもらい、居心地をよくし、できるだけ長く仕事をしてもらえるように雇用主が気を配っていたようです。
過去の「奴隷」は今の「サラリーマン」と同じような考え方だったようです。
むしろ昔の奴隷の方が今のサラリーマンよりも居心地が良かったかもしれませんね。。。
社蓄と聞くとすごくイメージが悪いですが
多くの方は企業に勤めております。
その中でも「自分をもたず周りに流されて苦労する社蓄」になる人と「自分をしっかり持ちバリバリ仕事を楽しむ人」の違いって何なのかぁってよく思います。
そこで今回は色々調べながら、自分なりに工夫して子育てしている私が社蓄にならない育て方をまとめてみました。
何でもかんでも我慢させない
子どもとショッピングモールに行くと
「これが欲しいぃぃぃぃ」と泣き叫び、その場から動かなくなる時があります。
あれ困りますよね。笑
こういう時、親は「我慢しなさい」ということが多いのではないでしょうか?
しかし子どもにも「何が何でも欲しいもの」はあるはず。
何が何でも欲しいモノを手に入れる喜び
どうやったら手に入るのか
どういう風に駄々をこねたら手に入るのか
を考えさせる良い機会ではないでしょうか?
私も子どもがいるので
「ここで買ってしまったらわがままな子に育つ」
「1回買ってしまうと毎回欲しいと言われて面倒くさい」
と言う気持ちは分かります。
しかしその全ての欲求を抑え込んでしまったら
「どうせ欲しいモノは手に入らない」
という考えが「体に染みついて」しまうのではないでしょうか?
何でもかんでも怒らない
毎日子どもと一緒にいると「どうやって育てようか」というよりも
「どうやって楽しようか」
「どうやって面倒くさいことが起こらないようにしようか」
と考えることが多くなってしまいます。
このような考えになると怒る必要もない時も、怒ってしまいます。
例えば・・・
だれの迷惑にならないのに走り回わると、つい怒ってしまう。
みたいな感じです。
「走り回ること」を許してしまうと
ショッピングモールや電車の中でも「走り回る子どもになる」と思い
ついつい怒ってしまうケースです。
何でもかんでもストップをかけたり、怒ってしまうと
「世の中はやってはいけないことだらけなんだ」という考えが体に染みついて
「◯◯をすればお客さんに喜ばれるのでは?」「◯◯をすれば彼女が喜ぶのでは?」
という考えがなくなってしまうように思います。
小さいころから自分で選ばせる
おもちゃを選ぶ時
「このおもちゃは組み立てるの面倒臭そう」
「このおもちゃは手が汚れて毎回面倒くさそう」
「カレーは服につくと面倒くさいのでラーメンにしよう」
と子どもが選ぶべきものを親が介入してしまうケースがあります。
これが大人になっても続くと進路や入社する会社まで口出ししてしまうことになります。
そしてずっと親に何でもかんでも選んできてもらった「家畜のような子供」は「社蓄」へと変わり、バリバリ仕事をするアグレッシブな野生のサラリーマンに食いつぶされてしまうと思います。
小さいころのケンカは見届ける
そこまで関係構築ができていない親の子供を叩いたりすると、止めるのが普通ですが
せめて相手の親と仲が良いお友達とのケンカは見届けるようにしましょう。
彼ら彼女らにも「訳があって」ケンカしているのです。
つまり「トラブル」が発生しているわけです。
そのトラブルを自分たちで解決させずに、親が勝手に入り込んで解決するのは解決力が無い人間になってしまうと思います。
小さい怪我をさせて学ばせる
ライターを触っている
熱々のオーブントースターに触ろうとしている
爪切りを触っている
ハサミを触っている
こういう場合、止める親が多いと思います。
理由は簡単で「危ないから」です。
でもこれらの行為で「死ぬ」ことはありません。
私はこのようなものを触っていても止めることはありません。
確かに「小さい怪我」はします。
オーブンに触れて「ギャン泣き」したり
ハサミでちょっと指を切ったり
不安で不安で仕方ないです。
しかしそうやって色んなものに触れて
これはこういうものなんだと理解していくと思うのです。
「危ない」と親に言われたから止めることを知って大きくなってきた子供は
「何が問題なのか」「何がよくないのか」を上司から教えてもらわないと理解できない子供になるのではないでしょうか。
子どもの宇宙言葉にもしっかり反応して上げる
1歳や2歳の子どもはちゃんと喋れません。
でもしっかりと聞いていると「伝えたいこと」があることは分かります。
「まんまんまん」=「アンパンマン」
「もんもんもん」=「洗濯物」
「ぎりぃ」=「おにぎり」
「うーん」=「うんち」
確かに理解するのに苦労しますが2歳くらいになってくると
「ぎりぃ、おいし?ぎりぃ、おいし?」=「おにぎりが食べたい」
など理解できるようになります。
こういう発言に対して、しっかりと反応して会話してあげることを心がけるといいと思います。
これを無視すると
「結局自分が伝えたいことは伝わらない」
というコミュニケーションしよう!という意欲が失われるのではないでしょうか?
できない!!と泣いても親が手伝わない
お風呂に入る時にズボンが脱げない
靴下を自分で脱げない
クロックスを履けない
などできないことがあると子供は泣いたりします。
ここで「うるさいからやってあげる」「可哀想だからやってあげる」では
「トラブル=誰かが処理してくれる」
ということが体に染みついてしまいます。
友達へのシェア精神を鍛える
自分でさせる
時には我慢させない
しっかりとかまってあげる
ということは社蓄にはならないかもしれませんが「空気の読めない奴」が完成しそうですよね。笑
なので友達へのシェア精神もしっかりとはぐくんであげましょう。
例えば
子どもに渡したお菓子を親がちょーだいと言ってわざともらう
たくさんの子供の前でお菓子を渡して、みんなに配るようにさせる
などです。
初めは嫌!というかもしれませんが
「みんなと一緒に」「みんなで」というシェア精神はしっかりとはぐくんでくれます。
ちょっとイジワルですが、最近では
「最後の1粒」をわざと子供に「ちょーだい」と言ってもらったりしています。
今では嫌な顔をせず、くれるようになりました。
死なせない
子育てには色んな理想論があると思います。
ここで述べたのはあくまでも私の子育て法で間違ってはいないですが、意見が異なるところもあるでしょう。
しかし一番気を付けないといけないのは「死なせない」ということです。
とにかく子育ては体力と気力が奪われます。
「子育て」から「いかに楽するか」に変わる場面は多いと思いますが
それでも一番守らないといけないのは「死なせない」ということです。
ハサミや爪切りは持たせますが
箸を持って走っている時は怒ります。
箸を持って走ってのどや目に突き刺さって亡くなられているお子様もいらっしゃるからです。
また食べるものの大きさも喉につまらないようにカットします。
大人になってもカットしないと食べれない人はいませんが、喉につまって窒息死するお子様は多いからです。
何でもかんでも「自由」という考えは時には「死」とつながることもあるので
そのあたりの加減を調整しながら「社蓄」ではない「生き生きとした大人」に育てないものですね。